みなさんこんにちは!
今日は皆さんに、世間で「こうした方がいい」と一般的に言われていることについて話したいと思います。
我慢すれば報われる?
よく
「我慢していればいつか報われる」
「努力が大事。つらいことから逃げちゃだめだ」と言われています。
我慢が大切、という考え方を、日本人は昔から根強く持っています。
最近では特に、鬼滅の刃が社会現象になり、主人公の竈門炭治郎が立ち向かう、過酷な運命とひた向きさ、やさしさに胸打たれる人が多いですね。
私もその一人です。
その炭治郎も、見ていると、我慢我慢をずっと重ねているように見えます。
しかし、炭治郎は果たして「我慢している」と言えるのでしょうか?
鬼滅の刃から学ぶ我慢とは?
「鬼滅の刃」は、原作者である漫画家・吾峠 呼世晴さんの作品。
あらすじは、主人公の竈門炭治郎が、辛く厳しい修行に何年も耐え、鬼との戦いの中で、時に理不尽な扱いを受けながらも、常に死と隣り合わせで戦いに挑み、大切な仲間とともに、鬼になってしまった妹・禰豆子を人間に戻すために立ち向かっていくストーリーです。
そのひた向きで、努力を惜しまず、強い鬼に対して、強靭な精神と鍛えた肉体で挑んでいく姿は、涙なくして観られません。
まず結論から言うと、この社会現象となっている鬼滅の刃の主人公・炭治郎の我慢というのは、日本人が思っている定説
「我慢していれば報われる (つらいことから逃げてはダメ)」
というのとは、根本的に違っています。
炭治郎は、まず自らの修行や鬼との戦いを我慢と思っていません。
これは、鬼に惨殺された家族の仇と、大切な妹を人間に戻すという明確な目的に向かって、炭治郎は突き進んでいるだけです。
なので、彼はどんなにつらくても、我慢しているという考えはないのです。
だから、前へ進めていると言えます。鬼を倒し、鬼を無くし、妹を人間に戻すという明確な目標に向かっているからです。
炭治郎は、その過程に我慢しているという考えはなく、ゴールを目指して成長していこうとしているのです。
嫌なことを忍耐強く我慢する必要はない
私たちが考えている我慢は、炭治郎とはちがいます。
私たちが考えている「我慢」とは、辛いことを無理してやり続ける、嫌なことから決して逃げないという、「我慢」です。
これは、目的がなく、ただ今ある状況に追い込まれている状態を、いつ終わりがあるのかよく分からず続けている、ということです。
ここで、炭治郎と私たちの違いに気がつくかと思います。
炭治郎には明確な目標がありました。
それに向かって突き進むことしか考えていません。
それに対し、目的や目標という、目指している場所がないのに、嫌なことを強いられていることをやっている、という「我慢」には、明るい未来はありません。
ただ目的もなく嫌なことをずっと我慢していたら、将来的に病気になってしまうだけです。
人は嫌なことは続かない生き物
嫌なことに対して、人はいつかそれに拒否反応をしてそれが体に現れます。
人の体の構造は、心と体がつながっています。
なので、嫌だという感情はすぐ身体にも反応するのです。
嫌な感情が続けば、肉体面、精神面を崩してしまい結果的に体調不良に陥ってしまうのです。そうすれば続けようと思っても体も心も追い付けません。
世の中にはきれいごとの言葉が多く、特に日本人が好きな、「我慢」や「努力」の意味をはき違え、「嫌なことを続けることが大切」という考え方に切り替わりがちです。
そう考えていることが全うであり、いずれ強い人間になれる過程というふうに考えてしまいますが、現実的にはそれは妄想であることもあります。
厳しいようですが、遠い過去にさかのぼって、辛いことを我慢していて幸せになれた人というのはどのくらいいたでしょうか?
いくらかはいたでしょうが、きっとその人は、特別な才能があったか、運が良かったという可能性の方が高いです。
あとは、アニメなどの寓話の世界での出来事ならあります。
「主人公補正」という言葉がありますが、物語の都合上、絶対死なない主人公や最後は報われるといった話です。
あれは、見ている側の応援したいという気持ちや、こうなってほしいという願望に沿って作られたものです。
本来、辛い状況で人は、自らの力は発揮できません。
辛い状況がもたらす人体への影響を考えれば、そのまま病気になってしまう可能性の方が、幸せになる可能性よりはるかに高いと言えます。
そして一度体調を壊し、体や心が正常になるまでというのは、病気になるまでと比べて、数倍も時間がかかります。
また人の体というのは、一度立ち直っても元に戻りやすい癖がついてしまうので、何かのきっかけでまた体調を崩してしまうということも起こってしまいます。
では、そうならないために、どういう考え方でいれば幸せになれるでしょう?
「嫌なことを我慢」ではなく「好きな事で努力する」
心身に影響が出てしまうほど辛いことであるなら、それはやらない方がいいです。
確かに、若い時は辛い経験も必要です。
ですが、別の仕方で努力や成長、学ぶということはできます。
一つのやり方や状況にこだわるより、「逃げる」でなく、他のやり方に「切り替える」という行動力が、大切になってきます。
例えば、仕事を変える、と言った変化を自らの行動で起こすというものです。
これは、簡単なことではないかもしれません。
勇気と余力がなければ、人はなかなか行動に移せません。
ですが、そこに留まって、どんどんつらい状況に追い込まれるより、一つジャンプする力を残し、思い切って環境を変えるという勇気が必要です。
行動に起こすことで、人は必ず何かが変化します。
時には失敗もあるでしょう。
でも、それも教訓になり、あとあと役に経つ経験となります。
そして必ず変えてよかった!と思えるようになるのです。
自らの経験を踏まえて
私の経験談ですが、私はピアノが趣味です。
そのピアノは、時に練習やレッスンが面倒くさいと思うこともあります。
ですが、好きなことをしている時間は総じて幸せで、辛い、やめたいという気持ちには至りません。
これを弾けるようになりたい! という目標もあります。
なので自然とその夢に向かって努力していますし、いつの間にかその趣味に、自分の大切な時間を割いています。
そしていつの間にか上達しています。
これは、知らず知らずのうちに努力が報われていると言えます。
そして、辛いことから逃げず、好きなことに全力を尽くして頑張ってると胸を張って言えます。
その好きなことに努力している、頑張っていることで日々充実感がありますし、おかげで色々なスキルも身についています。
それが、いつの間にか努力にもつながり、人生を豊かにし、自分の成長へと繋がっています。
なので皆さんも、好きなことを見つけ、それに尽力を惜しまず努力し、未来への成功を目指して頑張ってほしいと思います。
まとめ
辛い出来事を後から思い出し、いい思い出に変わる・・という話も耳にすることはあります。
しかしそれは妄想です。
辛い出来事は、後から考えても辛い出来事で、勝手にいいように切り替えた記憶です。
そうしないと人は前に進めないからです。
なので、「我慢していればいつか報われる」という考えは捨ててください
そして、「我慢というのは、好きなものをとことん努力すること。好きだから続けられ、それに努力する力が続いて結果報われる」という考え方に変えてください。
やりたいことに尽力を尽くす。
その時間は辛さよりも幸せで充実したものとなり、また、成果が出たときの喜びも未来に待っています。
これこそが本当に
「努力は報われる」
「辛いことではなく、好きなことに突き進むことが大切」
という考えに切り替えられる理由です。
子どもでも大人でも、体は大切です。
その体に無理がないか、自分の感覚を研ぎ澄まして自問自答しながら、努力できる好きなことを見つけて、人生を楽しんでほしいと思います。
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