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クレヨンしんちゃんは本当に教育に良くないのか?

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「クレヨンしんちゃん」とは

みなさんこんにちは!

長きにわたり、子どもから大人までに根強い人気で放送されている「クレヨンしんちゃん」。

『クレヨンしんちゃんとは』

幼稚園に通う5歳児の男の子、野原しんのすけこと「しんちゃん」の、家族や友達を巻き込んでの日常を、コミカルに描いた臼井義人原作の漫画。1990年から「漫画アクション」で連載。アニメでの放送はテレビ朝日で1992年から始まり、放送開始から実に29年間日本中、いや今や世界中で愛され続けている。

放送開始当初から、「クレヨンしんちゃん」が子どもに良くない、影響が悪いということは、たびたび耳にしてきた。

私は、クレヨンしんちゃんの放送が始まったころはまだ10代後半だった。

なのでその頃子どもを授かっていない自分としては、アニメを見始めたときも、さほど抵抗はなく、すんなりと、しんちゃんの世界を楽しむことが出来た。

しかしそれでも、初めは、話に聞くしんちゃんのキャラクターがあまりにもぶっ飛びすぎていて、観る前から大人たちの批判を耳にしていたため、「あー、良くないアニメなんだな」という先入観を持っていたことは事実だ。

それは、当初から大人が躍起になって論争していた「しんちゃんは教育は悪い」「しんちゃんを子どもに見せると、下品なことや言葉遣いをマネして、ろくな大人にならなくなる」という意見だ。

「クレヨンしんちゃん」は当初、大人たちの間でバッシングの嵐に

しんちゃんは自分の母親に対して「みさえ~」と呼び、外でもどこでもお尻を出して「ブリブリ星人」とふざけていたりする。

最近ではずっと「かあちゃん」と呼んでいるが、始まった当初は、この母親に対して呼び捨てで呼ぶことが多く、これが特に話題となり、世間でかなりのバッシングを受けていた。

そして、幼稚園の先生や、町中の大人に対しても、子供らしからぬエラそうな振る舞いや、生意気だったり下品な言葉遣いを連発しているため、しんちゃんは教育上良くないアニメとして大人が昼夜問わず議論する番組まで現れていた。

それだけ話題性がありインパクトの強い「クレヨンしんちゃん」は、大人からの批判を受けながらも、アニメや映画化、漫画の連載はもとより、CMとのコラボ、おもちゃやゲームとのコラボ、学習向けにした本の出版、他国での放送など、当初の批判をものともしない勢いで今でも大人気となっている。

アニメ「クレヨンしんちゃん」を初めて観たときの感想

ここでいったん話を戻すが、観る前からの大人たちによる、洗脳に近いとも言える先入観を植え付けられた(と思っている)私は、当初はこの、生意気な話し方や振る舞いをするしんちゃんを、どこかで耳にするたび、また目にするたびに、正直言って気分が悪かった。

もし、実際にしんちゃんみたいな子どもが突然「よっ!」と声をかけてきて、人のやることにいちいち干渉したり、的確なダメ出しをしてきたら、たぶん癪に障るに違いない(笑)

アニメの声優さんの独特な声も相まって、生意気さが余計に醸し出されている「しんちゃん」。

ある日私は、理由は全く覚えていないが、10代の気まぐれなのか、この大人からの先入観を打ち破って、アニメを見てみることにした。

そして観始めた途端、しんちゃんの世界に夢中になり、もうおもしろおかしくてたまらなくなった。

アニメ「クレヨンしんちゃん」の魅力

観てみると、しんちゃんはとても魅力が詰まったアニメであることが分かった。

クレヨンしんちゃんの魅力は、例えば

  • 生意気な言葉遣いはあるが、それ以外にしんちゃんには、ほっこりさせられることや、根はやさしいしんちゃんのキャラクターが、エピソードにきちんと盛り込まれている
  • 友達とのやり取りも、観ていてイラ立つところも多少あるものの、最後にしっかりと納得のいく爽快感ある終わり方で落としてくれる
  • 10~15分という短い時間で、起承転結がしっかりと成り立っており、それは新聞の4コマ漫画でおなじみの「ゴマちゃん」に共通している。
  • しんちゃんはとても友達思い、家族思いなのが見ているとわかり、家族のエピソードは思わずほろりとする話がとても多い
  • 強烈なキャラも出てくるが、日常に当てはめてみると、意外と身近な存在の人が出てきて、人間の本質的な部分が強調され、そのキャラクターに親近感が沸いてくる

特に、強烈キャラに関して言えば、しんちゃんの母親みさえは、主婦の本質をついた行動や考え方ばかりだし、まつざか先生のスペックの高い男を求める貪欲な性格と、子どもに対してつい出てしまう本音は欲望に忠実な面がとても人間臭いので頼もしい存在である。

またセールスレディで、実績だけに目がくらんで、主婦をターゲットに商品を売りまくろうとする売間久里代(うりまくりよ)など、たまに登場するキャラも強烈な個性を放っている。

それが大げさなキャラとして登場してきたときは、日常の出来事なのに、今回はどんな事をやらかすんだろうかと妙にワクワクしてしまう。

人は人の失敗を面白く思う性質があるからなのか、それらのキャラクターに愛着がわき、憎めないキャラクターとなっている。

クレヨンしんちゃんの世界にイジメは存在しない

そして、クレヨンしんちゃんの世界には、いじめっ子がほとんど出てこない、というのも特徴的だ。

ここが、世間にはあまり触れられていない部分だ。

唯一、しんちゃんの中で思い付く「いじめっ子」というと、「チーター」というタンクトップのキャラの男の子がいる。

その子は、しんちゃんとは同じ幼稚園でもクラスが異なり、威張って仲間を引き連れしんちゃんをバカにしたような言い方をしてくるが、何やっても肩透かしばかり食らっている。

そして、いつも一話の終わりには、結局しんちゃんに振り回されて終わる、というお決まりのパターンとなっているため、イジメが誇張されることなく視聴者も逆にスカッとした気持ちになる。

イジメのない世界のしんちゃんは自由だ。

大人から見たら、そんな自由奔放で、言葉遣いや振る舞いがきちんとしていないしんちゃんのことを、見過ごすことが出来ないのかもしれない。

しかし、イジメがないとはこういうことなのだ。

しんちゃんから学ぶ、イジメのない世界とは

どんな個性を持っていても、イジメられずそのキャラを突き進み、周りはそのキャラクターを尊重し受け入れる。

これが本当の、イジメのない世界だと思う。

しんちゃんの世界はそういう世界で成り立っている。

これを大人たちは、言葉遣いとしんちゃんの振る舞いのみにフォーカスして、日夜論争していた。

これは言わば、大人による「しんちゃんイジメ」をしていると言って他ならない。

アニメだからと言って、まだ5歳児のしんちゃんを寄ってたかって否定していいのだろうか。

大人の言うことが正しいとは限らない 自分でその世界を見てみる勇気も大切

しんちゃんに限らず、今でも大人たちは、特に目立つ部分を叩いて批判し、それを聞いた人は、それは「良くないものだ」と植えつけられる傾向がある。

例えばインスタグラムもそうだ。

これは、インスタグラムというアプリが出始めたころ、若者が自分の顔を写真に撮り、それを加工したりして自慢するためのアプリ、というような紹介をメディアでは声高高にしていたという記憶がある。

若い人よりも、流行に疎い年代からすると、このインスタグラムの内容を聞いた時、「ろくでもないアプリだ」という印象を持った人は少なくないはずだ。

だが、やってみると、インスタグラムというものは、ただ単に自分の写真を乗っけて自慢したり、加工して楽しんだりするだけではないということが分かる。

例えば

  • 何かの学習に使う
  • 自分の趣味関連のものをUPする
  • 好きな芸能人の日常を知る
  • 趣味の情報を集める
  • 役に立つ情報発信をする
  • 面白映像を観る
  • 自己啓発的な活用をする
  • 世界にある絶景や、到底人が踏み入れられない場所の映像を観る
  • 可愛い動物や、サバンナでの野生動物を観る

など、使い方次第で人に合わせた色んな活用法がある、とても便利なアプリである。

このように、大人からの言葉により、それ自体を知る前に拒否してしまうのはたびたびあることだ。

なので、一度自分で見て確かめることも必要な場合が、人生においては往々にしてあると思う。

大人の言うことがすべてと考えるのは危険だ。

大人だって平気で間違えるし、間違っていると気づかずに、思い込みで正しいと思って説明したりする。

本人が間違っているとは思わずに発しているのだから、それを知らない人からしたら、自信満々に言われたことだとつい信じてしまいがちだ。

でも、まず一回は、自分でその世界をのぞいてみることで、新たな発見があったり、自分にはすごく実は向いていること、大人が知り得ない魅力がそこには詰まっている、ということに気づくかもしれない。

しんちゃんを観ていた子どもたちの現在は?

ところで、しんちゃんを観ていた子どもたちはどんな大人に育っているだろうか。

子どもは、幼児のころから、大人の言う事や、アニメでのマネごとをして育つ。

それが、大人になっていくにつれて、たいていの人は年齢に合わせて別のことに興味がいき、言葉遣いも年齢に見合ったものや、その時流行った言葉遣いに変わってくる。

実際に大人になってもずっと「オラさ~、」とか「みさえ~」とか「ブリブリ星人~♪」とかやっている人など見たことがない。

しんちゃんの言葉遣いは、我が家の子どもたちもよく真似をしていた。

しかし、子どももしんちゃんがアニメであることはわかっていたし、日常でしんちゃんの言葉遣いを使って私も注意することも確かにあった。

しかし、基本的にアニメのマネは、一時的なお遊びである。

仮面ライダーなどの戦隊ヒーローモノの決め台詞を言うのと同じような感覚であると言えよう。

私としては、自分の子どもが普段から、いじめられているのび太であるよりも、しんちゃんの、わが道は行く「ブリブリ星人~」を楽しんでやり切っている子どもでいてくれる方が安心だ。

それに、子どもにも空気を読む力はある程度備わっている。

多少空気が読めない場合でも、そこは大人の度量の方が本来試されるべきであり、場をわきまえる躾をしていけばいいことなのだ。

「きちんとしろっ!」とか「うるせーっ」ってその場で怒鳴って終わり。

これは教育ではない。

なので、一時的に良くない言動を真似たとしても、それが人間形成にまでつながっていくかというと、そうではないと言えるのである。

しんちゃんの言葉や振る舞いをマネた子どもを、本気で怒る大人というのは、自分が恥ずかしい思いをするという自己保身のために怒っている、と考えられる。

子どもにバカにされたような、舐められているような気分になるからだろう。

もしそうであるなら、子どもは的確に図星を言い当てたことになり、頭の回転が早い子の可能性もあるのだから、褒めてあげるべき頭脳の持ち主だろう。

結論

「クレヨンしんちゃん」は、教育上良くないアニメではない。

「クレヨンしんちゃん」は、個性豊かでそれぞれの個性を尊重するという、イジメのない世界で成り立っている。

この世界を私たちは見習って、個性を尊重しながら仲間と共存していくという、しんちゃんが訴えている尊いテーマの神髄を、大人である私たちが気付き、未来ある子どもたちに教えていくべきだろう。

 

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