昭和という不思議な世界をご案内
※昭和独特な過激な描写が含まれてる可能性があります(ハラスメントやイジメなどに関連した表現)
こんにちは。
一応、昭和に生まれ、昭和を生きてきた私。
とはいえ、まだまだ心も身体も元気バリバリです💦
令和という時代を迎えたとき私には、昭和、平成、令和という3時代を、親である私が生きてきたという事実を知った我が子が、ものすごい年寄りのような目で私を見てきたという悲しい記憶が甦ります笑
それはさておき^ ^、
今回はいつもと趣向を変えて、平成生まれ人たちに、今では考えられない昭和の光と影についてお教えしたいと思います(^。^)
昭和とは
平成から令和へ いま昭和がブーム
平成、令和という時代の前にあった、昭和という時代。
昭和という1つの時代は、今の若い子の親や祖父祖母たちが生きてきた時代。
そして、現代とは対照的にバブルな時代であり、親から派手な経験を耳にしたり、スマホやAIなどのテクノロジーがない反面、世間の温かさも感じられるという時代でした。
またyoutubeなどでその時代の栄光を映像として見ることで、今の若者にとって憧れの時代となっています。
昭和ブームを知るきっかけは「うる星やつらのラムちゃん」だった
私が、なんだか世の中的に昭和が脚光を浴びてるなと感じたのは、いまから15年ほど前働いていたパート先でのことでした。
当時、私に懐いてくれた21歳のバイトの女の子と初めて会話した時のこと。
その女の子が手にしていたのは、うる星やつらのラムちゃんのクリアファイルでした。
うる星やつらVo.1 DVD BOX
私がそのクリアファイルに反応すると、その子はパッと表情を明るくして「え?うる星やつらを知ってるんですか!?私大好きなんです!高橋留美子さんの大ファンで」
と開口一番目を輝かせてこう言ってきました。
高橋留美子作品に詳しくないにせよ、夜の平日7時台に毎週当たり前のように見ていたアニメだったので、よく知ってるといえば知ってる。
そのときうる星やつらのアニメをリアルタイムで見てたと伝えたときのその子の反応と来たら。
まるで人間国宝を見たかのような、憧れの眼差しを感じました笑←おおげさ
私は若い子のその反応にビックリしたのを覚えています。
ただ、小学校から中学にかけて、好きなアニメを見ていただけなのに、「すごい」という言葉をもらえるなんて!と。
そのバイトの女の子は続けて、
「このクリアファイルに今まで誰も触れてくれた人いないんですが、〇〇さん(←私の名前)が初めて反応してくれました!嬉しいです!」と笑顔でこう答えてくれました。
私も元々子供の頃アニメが好きだったし、うる星やつらに一時はどハマりしたことがあったのでつい反応してしまったというだけなのですが、こんな一瞬の会話で一気にその子と距離が縮まり親しくなったのを今でも鮮明に覚えてます。
そして、私も純粋に嬉しかったですね。
若い子と話など合わないと思っていましたが、アニメというコアなカルチャーを通じて、年齢差関係なくこういった会話ができるというのが、新鮮で昭和の凄さを目の当たりにした瞬間でした(笑)
そして、今までなんとも感じてなかった昭和という時代が、急にとても貴重な存在に感じ出しました。
昭和の芸能界は、一般人とは別世界
さて、そんな昭和という一時代では芸能界も、今と比べて一般人から見てそれはそれはとても遠い存在でした。
今でこそSNSで、実際に芸能人と一般人がつながって、時には互いの存在を知ったり、会話もできたりと、芸能人が一般人との距離を縮めようという傾向も見られます。
現代の芸能人は、親しみやすさのアピール力が試され、それにより人気を得たり支持されますが、昭和という時代は全く違いました。
まず、昭和の時代では、芸能界という世界はとても高い位置に存在しており、とっても華やかでキラキラと輝き、一般人とはきっちりと線が引かれているような感じでした。
芸能界で売れていたアイドルや、昭和の大スターと呼ばれる確固たる地位を確保した俳優たちは華やかなステージで活躍し、一般人から見るとまさに雲の上の存在。
まさにスターと呼ぶに相応しいカリスマ性を放ってました。
なので、アイドルや銀幕のスターたちと会えるなんていうことは、夢のまた夢で、そもそも実在するのだろうかという感じです。
たとえば、今も現役のアイドルで活躍し続けている松田聖子さん(通称聖子ちゃん)。
同じ時期に聖子ちゃんの良きライバルとして抜群の歌唱力でヒットを飛ばした中森明菜さん(通称あきなちゃん)。
旧ジャニーズの絶対的存在であり、女子がキャーキャーと失神するほどの人気の田原俊彦さん(通称トシちゃん)や近藤真彦さん(通称マッチ)などなど。
衣装も豪華、キラキラとしていてお茶の間から見るテレビの世界は、自分たちとはかけ離れ憧れ的存在です。
もちろん、今のようにコンサートに行ったり、番組に応募して芸能人を見に行くことは当時もありました。
しかし、そもそも芸能界を目指していない人にとっては、芸能界という世界がまるっきり自分とは、かけ離れ、謎に包まれた遠い世界と誰もが感じている世の中でした。
このように、当時人気だった芸能人はその存在が、今で言う二次元のアニメのキャラクターのような希少価値と存在感であったと言えます。
そのことから、今では信じられないある都市伝説が、俄かに信じられていました。
それが
「アイドルはトイレに行かない」
という考えが一般人の間で噂されてもいました^^;
いや、同じ人間ですから実際そんなことはありえないのですが、あまりにも尊い存在であるが故に、そんな考え方がまかり通る時代だったのです。
コンビニの弁当が恐ろしく不味かった
今は美味しさの追求と栄養バランス、そしてダイエット系や糖質、コレステロールを抑えた商品など、体により良いものを次々と生み出しているコンビニ商品。
各コンビニ大手も競い合って、栄養が考えられていて本当に美味しいですよね。
スイーツも美味しさと低カロリーを兼ね備えてレベルの高い商品が販売されています。
日本でのコンビニ第一号はセブンイレブンで、昭和の時代に生まれました。
そこから、こんなに美味しく栄養を考えられて作られたコンビニ弁当やお惣菜が食べられる日が来るなんて、当時みんな夢にも思ってもいないことだったでしょう。
私もそうでした。
当時、コンビニは便利だけども、申し訳ないですが、味は不味いというのが当たり前でした。
もちろん栄養など考えられているはずもなく、添加物てんこ盛り(と信じられていた)商品が普通に陳列。
しかし、コンビニというものは、便利に特化したものだったため、味のレベルに誰もが期待してなく、みんながそんな不味さを当時は当たり前のように納得して買っていました。
コンビニ商品がどれくらい不味かったかというと、言葉でうまく伝えられるかわかりませんが、とにかく不味かったです(^_^;)←結局伝わらず
ご飯の硬さ、冷たさ、薄味で塩味のなさ、唐揚げの衣の萎びた感じ。うん、なんとも言えない感じです。
コンビニのまずさを思う存分味わった昭和の人たち
コンビニ弁当の不味さと栄養価のなさ、添加物。
便利さが先行して世間は目を瞑り、食べていた時代、昭和。
ある日、平成という時代になって間もなく私が社会人になり、ある先輩が私にこう話してきたことがありました。
「俺たちってさ、コンビニが出来た頃の不味いものばっか食べてた年代だろ?だからきっと早死にするよな」と。
どんな会話の流れからこう話してきたのか忘れましたが💦、私はこの会話が妙に印象に残っています。
なぜなら、実際にまずいと思っていたコンビニを利用していた経験が自分でもあり、体に良くないだろうな、、、と思いながら日頃から口にしていて自分でもそう感じながら食べていたから。
なので実際に言葉にされた時に、「ああやっぱそうだよな」とすごく合点がいきました。
そして、この話にはちょっと続きがあり、会話との因果関係はわかりませんがその会話をした2年ほど後に、その先輩は心筋梗塞で倒れ、38歳と言う若さで旅立ってしまいました。
決してコンビニ弁当のせいではなく、当時職場が大変な忙しさだったため過度のストレスも原因だったと思います。
明るくてとてもイイ先輩だったので思い出すと妙な切なさが今でも込み上げてきます。
その先輩と何ともいえない会話を交わした記憶とともに、コンビニ弁当の著しい成長と歴史を感じずにはいられない今日この頃です。
学校はパワハラ、モラハラが横行
昭和の時代、先日放送していた人気ドラマ「不適切にもほどがある!」のシーンのように、学校や職場でのパワハラ、モラハラが横行し、現在ではそれに対して世の中が厳しくなっていることは、とてもいいことだと思います。
理不尽な圧力を受けるなんて溜まったもんじゃありませんよね!
イジメも然りです。
しかし昭和のイジメも相当悪質でした。
私が当時中学生の時、私の学校は市内ワースト2位という素行の悪さで有名でした。
それゆえ先生も厳しく、不良がいた当時は生徒にもパワハラ、モラハラは日常的にありました。
モンスターペアレントはいなかった
親も学校のやることに口出しすると言った、いわゆるモンペと呼ばれるモンスターペアレントの存在はほとんどなく、学校側の主張が最優先という考えがまかり通っている時代でした。
中学高校は「不良」が憧れの存在
「ヤンキー」ではなく「不良」がいた時代
そして、今では時代遅れも甚だしく感じるであろう「不良」という、「ヤンキー」の先駆け的存在。
学校にもよりますが、私の学校は、数歩歩けば不良に当たる、と言っても過言でないほど、不良がわんさかいるという中学時代を過ごしました。
昭和の不良の定義
ここで不良の定義を一応伝えておきますと、
- 不良は、先生の言うことを聞かないのがモットー
- 学年、学校内で絶対的な立場で好き勝手な行動をする
- 授業を抜け出すのは当たり前
- 授業を抜け出し体育館裏とか部室でタバコ吸ってる(※中学生です)
- 制服のズボン、女子ならスカートが床につくほど長くしてひきづりながら歩き、上履きの踵は踏んづけて歩く
- 不良たちは上下関係はきっちりしている
このように、はみ出した態度の不良たちの行動にも、自分達で決めた規則や「型」がありました(^。^)
実際目にした不良たちの行動
当時の中学で見た不良たちの行いはというと、
そして、賀来賢人さん主演の「今日から俺は」のドラマの世界さながらの、ツッパリ独特の髪型に、ポケットに手を突っ込んでオラオラと歩く姿に、女子生徒たちは実際に憧れたり、好きになったりと言うことも日常でありました。
不良がカッコ良くてモテた時代です。
先輩に逆らうとリンチされる
私のいた中学では、先輩という存在は先生よりも恐ろしい存在で、中一は中二と中三の先輩の言うことは絶対であり、中ニは中三の先輩の言うことは絶対でした。
それに歯向かったら、恐ろしい「リンチ」というものが時には待っていることも。
今は部活動で先輩と後輩が仲良く会話する光景が見られるとのことで、微笑ましいのですが、昭和の時代にそんなことは、少なくとも私の中学では考えられないことでした。
特にスポーツ系の部活での先輩のパワハラは顕著に見られ、先輩のいうことには元気よく「はいっ!」と返事しなければ、リンチにあう可能性あります。
先輩への挨拶も命がけ
私の所属はバレーボール部でした。
特に強豪校でもないのに先輩はとても怖くて、中三の先輩に対しては、廊下ですれ違う時にも緊張し「こんにちは!」と普段よりも数段高い声色を使って挨拶しなければならない、というワケわからない掟がありました。
そして先輩が通り過ぎるまで立ち止まって、ずっとおじきをしたまま通り過ぎるまで動かず待つ、という感じでした。
今では考えられないですね笑
こんなことを当たり前に、中一の私は同級生たちと過ごしてきましたが、怖いのは、そういう世界に入ってしまうと、それが当たり前になってしまうということでした。
なので、誰もそれについて文句言うこともなく、先輩の言うことは聞いて当たり前、と誰もが思っていました。
ちなみに、私たちが中二になった頃は、同じように一年生にパワハラしたのかというと、自分たちは先輩として慕われたいと思ったので、そういったパワハラはしない優しい先輩を目指しました。
もちろん学年によってはそのまま先輩たちの行いを継いでいったりもしたと思います。
このように、学校内での関係性がいかに異常で、先生たちも、生徒を怖がっていて守ってくれなかったいうのも事実です。
中三の先輩は、ある意味先生たちよりも絶対的権力を握っていました。
先生も、自分が生徒に注意をすれば、逆にリンチされてしまうという恐怖の中で指導してましたし、実際に不良たちに絡まれている先生を、時折廊下の端で目にしたりしていた時代でした。
ほんとに今考えると恐ろしいですね。
ここまで酷いのは、もしかしたらうちの学校くらいだったかもしれませんが、昭和の時代で不良は全国的にどの学校にもいました。
ただ、先生の中には今だったらパワハラやモラハラなどで完全に訴えられる、というような先生も結構存在していました。
私が小学4年生だったあるとき、担任の40代くらいの女の先生が「忘れ物をした人は前に出てくるように」と言い、数人と並んで先生の前に立ったら(忘れ物はしてはいけませんが💦)、いきなり端から順番にほっぺをビンタされていった、ということがありました^^;
今ではこんなことがないよう、社会の目も厳しい世の中ですが、今後も子どもたちには、絶対こんな目にあって欲しくないと切に思います。
部活も水分を摂ることが許されない時代
バレー部や野球部、バスケ部、などスポーツ系の部活は、スポ根アニメさながらに、強さ弱さに関係なく、各部活動も厳しいものでした。
夏練(夏休みの練習)は、今でも記憶に残っていますが、今では推奨されている「こまめな水分補給」は許されません笑
水筒を持っていくことは許されても、3〜4時間の練習で飲めるのは途中休憩の2回ほど。しかも練習が続いている間は飲むことは基本許されません。
夏の暑さでボーっとした体育館の中や炎天下での練習でもこの状態だったので、みんな途中で気分が悪くなりトイレに駆け込み、目眩を起こしたり、吐き気をもよおすという光景がありました。
いわゆる今で言う「熱中症」ですね。
その時代は熱中症という言葉がなかったので、誰もその症状を気にかけるでもなく、もちろん先生も厳しかったので、そんな症状みても何1つ気にかけることもなく練習は続行です。
これ、当たり前に夏練では毎日行われていたことです。
ちなみに私は、あまりに辛くてトイレと顧問の先生に嘘ついてトイレに行き、トイレの水道水をごくごくがぶ飲みしてやり過ごしていました。そうでないと、決して水分を摂れない時代でした。おそらく他の部活の子達もそうしていたと思います。
今思い返してみると、あの時死ななくてよかった。。。と心底思います^ ^
また一応先生の名誉のために言っておきますが、このような状況はどの学校でも行われ、これが普通と考えられていた時代です。
昭和の時代のドラマが影響した可能性も
これらの、中学や高校の当時の風潮を表しているドラマが、今でも語りづがれている「3年B組 金八先生」です。
3年B組金八先生
ドラマの影響で、世の中の学校がそうなったのか、社会の風潮に合わせてドラマが流行ったのか、今となって真相は確かではありませんが、私はドラマの影響力というのは確かにあったと思っています。
また、金八先生だけでなく、他にも影響力のあったドラマとして、「不良少女と呼ばれて」や「積み木崩し」といった、不良や思春期の子どもの家庭内暴力を題材にしたドラマが人気を博していたのも事実です。
こういったドラマを見ると影響されて、現実世界でも同じような行動を思春期は特に真似してしまう傾向はあると思います。
またドラマだけでなく、いわゆるスポ根アニメと呼ばれる、いじめられてる主人公が、それに耐えて一人前になる、スポーツの頂点に立つ、という根性もののアニメも流行ったことも、昭和のパワハラ横行に拍車をかけていた気がします。
その時代の流行りで、支持を得ていたのは確かですし、アニメの内容としても面白かったのも事実で、スポーツを通して努力することの大切さも、昭和の子どもたちに伝えていたのも事実です。
なので悪いことばかりではないですが、昭和の時代でも、色々と光と影があったのは確かです。
アニメは名作揃いの黄金時代
スポ根アニメのみならず、昭和は名作と呼ばれるアニメの宝庫でした。
今でも語り継がれ、時々映像として懐かしむこともできるたくさんの作品があります。
昭和からずっと続いている不動の人気のものもあれば、当時一時的に人気を博したもの、今の時代にそぐわないと人気があったにもかかわらず再放送されずにいるものなど、数え上げたらキリがないほどあります。
昭和の名作アニメの一例
- 冒頭で出てきた「うる星やつら」、その作品を生んだ高橋留美子さんの他作品「らんま1/2」「めぞん一刻」
- あだち充作品の「タッチ」「みゆき」
- 「機動戦士ガンダム」
- 「銀河鉄道999」
- 「フランダースの犬」「赤毛のアン」などの世界名作劇場
- 「巨人の星」「アタックNo.1」などのスポ根アニメ
- 今でも子ども達に人気の鳥山明さん作品の「ドラゴンボール」や「Drスランプあられちゃん」
- 「鉄腕アトム」「リボンの騎士」「ジャングル大帝」などアニメの巨匠、手塚治虫作品の数々
など、まだまだキリがないほどたくさんの魅力的なアニメがありました。
それらを存分に味わった世代であったとも言え、アニメに育てられたと言っても過言ではない昭和世代の大人たち。
私も子どもの頃はアニメを楽しみ、支えられ、幸せな時間をアニメとともに過ごしてきました。
アニメの制作技術が進歩してきてる今でも、過去の作品には奥が深い内容と、絵のタッチの素朴さと、印象的なアニメ主題歌など、どこをとっても昭和のアニメには魅力がいっぱいあります。
皆さんも、機会があったら、動画配信サービスなどを利用して、昭和の時代で放送されていた懐かしアニメをぜひたくさん観て欲しいなと思います(^。^)
【過去のアニメが見れる動画配信サービス】
まとめ
いい面だけではなく、昭和の時代には、華やかな世界と、厳しい現実といろんな入り乱れて、今の大人たちができ上がっていってるという現実があります。
今から30年ほど前の摩訶不思議な昭和時代、魅力的な面と、目に見えない闇の部分も、まだ私自身も知らない部分があったとは思いますが、今回は、そんな昭和時代を自身の経験とともにお伝えしました^^
遠いようで近しい昭和時代、少しでもこの記事で興味持ってもらえたらと思います。
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